経営の外部支援者には《問題の解決者》というイメージが強いかも知れません。しかし、そのイメージでは《経営者と支援者との関係》を生み出しにくいのではないでしょうか。今、多くの企業にとって《問題解決の一歩手前》が重要になっているからです。

1.問題を特定できなければ問題の解決はあり得ない

たとえば医者に行って、いきなり『病気を治せ』と言う人はいないでしょう。まずは《どこがどう悪いのかを診てもらう》ところから入ります。しかも『ちょっと胃が荒れているようですね。でも休養すれば治ります』と言われて、自分で治すのは患者自身なのです。
『否、医者は薬を処方してくれる』と言われるかも知れませんが、薬を飲んでも、大酒や重労働等の無理を続けていると、荒れた胃は、むしろ悪化するでしょう。
ところが、経営問題に関しては、いきなり『改善の方法を教えろ』と言われることが多いのではないでしょうか。

2.効果が薄く危険が大きい《解決者》的アプローチ

ただ、それは経営の外部支援者が、いつの間にか《問題を解決してくれる人》にされている、あるいは自らそう宣伝しているからかも知れません。そして『あなたと一緒に、問題を見つけ出します』というフレーズでは、支援契約を取れないと思い込んでいるからだとも言えそうなのです。
しかし、大酒が健康に悪いと思っていない人を治療するのが難しいように、たとえば従業員への配慮に欠ける強引な指揮命令が、組織内の士気を低下させる要因だとは考えない経営者に、指揮命令法を変えさせるのは不可能でしょう。

3.問題意識は《どこ》から《どう》生まれるのか?

つまり、経営者が問題意識を持たないなら、その問題を解決する糸口も見つかり得ないということです。ただ、ではその《問題意識》は、《どこ》から《どのように》生まれるのでしょうか。
それは『あなたの内臓疾患は大量の飲酒のせいだ』という問題を正面から指摘するのではなく、『大量飲酒によって内臓が蝕まれる事例を見せる』時でしょう。医者の場合は、事例を語らず《投薬》で済ませ得るケースもあるでしょうが、ただ《処方箋》を書くだけの医者は、なかなか信頼されないのも事実ではないでしょうか。
それが経営支援なら、なおさらでしょう。

4.問題は指摘されるものではなくイメージするもの

要するに、経営上の問題は『ここが悪い』と鮮烈に指摘されるものではなく、経営者が感じ取るものでなければならないということです。たとえば、他社の事例を見聞きしながら『ああ、うちにもそんなところがあるなあ。そうだとすると、この事例のような問題に陥るのだろうか』と感じ取ることが大事だということです。
なぜでしょうか。それは、経営者が《自ら感じ取れる問題》でなければ《自ら改善できない》からです。

5.溺れる人を助けられても沈む行く船自体は救えない

しかし、何度事例を提供しても、《自分事》として感じ取れない経営者には、どう対処すれば良いのでしょう。もちろん経営支援者としては、様々な角度から《関連する事例》を次々に提供する努力は必要でしょうが、経営者が《その気》にならない時は放置する他はないと思います。もし、その企業の経営が深刻化しても、支援者の責任ではありません。
逆に、その経営者の救済のために、その企業の問題に飛び込むのは大変危険です。溺れる人を救助するのは可能ですし尊いことですが、誰も沈み行く船自体を生身で救助することはできないからです。

6.事例こそが経営者と支援者との関係を促進する薬

ただ、事例の内容には工夫が必要でしょう。たとえば、大酒で内臓を痛めた人のケースを例示するだけではなく、内臓を痛めた人の実情と、それを克服した行動の両方が必要だと言えるからです。
それは、必ずしも解決策を提示することではありません。それが《解決可能な問題だ》と強く意識付けるためです。逆に、単に『ああ、内臓が病魔に侵された』と問題指摘するだけでは、聞き手は治療を諦めるか、他の医者を探すかしてしまうでしょう。
以上のように、ただ『人事労務上の問題とその克服例を語る』と強く意識するだけでも、経営者との対談は、先生方にとってストレスは小さく、実りは大きなものになる可能性が拡大すると思います。