働き方改革による《時間外労働の上限規制》が、2024年4月には、運送業や建設業にも適用されます。更に、当初の働き方改革《方針》の中には、今後《政策化》されるはずのものも、多々残っています。しかし、現実問題として、中堅中小企業の働き方は、本当に変わるのでしょうか。

1.なくなった《手書き清書》という現場の仕事

1980年代初頭、ワープロが発売され始め、大企業を中心として、役員会資料や対外文書が《活字》になって行きました。それまでの、字が上手な人の清書にワープロが取って代わったわけです。
ワープロの登場で、確かに文書の外観は見事に変わりましたが、さて《働き方》は変わったのでしょうか。否、それまで同様、起案者が書いた乱雑なメモをワープロで《清書》するという仕事の進め方は、大きくは変わりませんでした。
人による清書が、ワープロに代替されただけだったのです。そして、そのワープロを使うのも、それまでの《清書担当者》でした。

2.起案者が自らワープロを使うことで変革開始

ところが1980年代も中期になって、ワープロの価格が大幅に下がると、オフィスの中で、清書担当者の数よりもワープロ台数の方が多くなって行きます。その結果、特に若手の担当者は、清書者を順番待ちするより、自分でワープロの使い方を覚えるようになるのです。
担当者が自分でワープロを使い始めると、清書が不要になるばかりではなく、手書きと違って、文書の修正や転用が格段に容易になるため、下書きを省略してワープロで起案するのが当たり前になって行きます。
清書者の働き方も、起案者の働き方も変わったわけです。
その間のタイムラグは3~4年というところでしょうか。

3.インターネットとメール普及が変革の決定打

既に1980年代の中盤から企業に導入され始めた《パソコン》の普及は、もっと緩慢でした。DOS(ドス)パソコンと呼ばれたIBMのパーソナルコンピューターは、画面に数値と文字しか表示しませんでしたが、プログラム知識なしに《表計算ソフト》が使えるようになったために、事務の仕事は様変わりになるはずだったのです。
ただ扱いが大変でした。当時、画面が今のPCのようにビジュアル化されていて、マウスが使えるマッキントッシュのパソコンは高価でしたし、マウスのないDOSパソコンは、それだけで敷居が高かったからです。
それがWindows95が発売されると、1993年に商用化されたインターネットが格段に使いやすくなり、業務は様変わりになって行きます。インターネット検索とメールが働き方そのものを大きく変え始めたからです。その意味で、パソコンの働き方改革成果には10年程度のタイムラグがあったと言えそうです。

4.少人数で大量の仕事ができるようになった!

インターネットとメールの普及で、特にデスクワークは革命的な変化を遂げます。資料収集のための外出や、問い合わせの回答電話をオフィスで待つ必要がなくなったからです。
その傾向に、2010年頃から爆発的に普及したスマホが拍車を掛けます。事務所の電話番が不要になり、ついには、在宅ビジネスのように、事務所さえ不要になる事業も登場し始めたのです。その結果、数人掛かりの仕事を1人でできるようになったと言っても、過言ではないでしょう。
そして、先へ先へと進む企業と旧態依然とした企業との《格差》が広がり始めます。この頃には、タイムラグよりも格差の方が大きかったかも知れません。

5.業種間の《やむを得ない格差》も顕在化した

《格差》に関して言うなら、企業間では経営者の取り組み姿勢の差が浮き彫りになりますが、業種間では、たとえばITビジネスと運送業との違いのように《人の働き方の差》が顕著になります。特に、トラック運送業では、ドライバーがトラックを運転するという働き方は変えようがなく、その点《旧態依然》にならざるを得なくなるからです。
その一方でITビジネスは、パソコンさえあれば仕事ができるわけですから、リゾート地にいてリモートで働くことさえ可能になります。
つまり、デジタル化が容易な業種と難しい業種で差が出たわけです。

6.業種間ではなく業務間でも同じことが言える

業種間ではなく、業務間でも《デジタル化の容易性》は、働き方に大きな影響を及ぼします。会社の受付のような仕事は、人からパソコンに移行し得ても、介護サービス等は《人》がメインの仕事です。それでも、アラームや効率的なスケジューリングという《デジタル効果》で、介護担当者を楽にすることはできるでしょうが、肉体労働自体は削減することはできません。
そのため、介護職の社員は会社を辞めて行きますし、採用は容易ではありません。トラックドライバーや他の業界でも、いわゆる《身体を張る仕事》は同様でしょう。
そして《人員不足》が深刻になります。

7.現代社会の《行き詰まり感》の実相が見える

人員不足が深刻になると、今度は肉体労働をロボット化できないかという発想が生まれます。肉体労働ばかりではなく、製造業やサービス業でも、定型作業を繰り返すような仕事は可能な限り自動化しようという発想が主流化して行くのです。
ところが、そんな高度化にはシステム技術者が必要で、今度は『システム技術者が足りないではないか』と、また《別の人員不足問題》が顔を出すのです。それは、人員不足解消のための人員が不足しているという一種の皮肉なのでしょうか。
プログラミングという大きな可能性を目の前にしながら、それを駆使できる人の不足で、今の社会は行き詰まり感を抱いていると言うと、言い過ぎになるでしょうか。

8.現代的な行き詰まり感を打開できるものは?

この《行き詰まり感》の打開は、デジタル化の原点、すなわちワープロの働き方改革効果に遡って捉えるべきかも知れません。ワープロは、それが使える人の急速な増加によって、資料作成業務を根本的に変えました。パソコンが、それに拍車を掛け、スマホが後戻りできない状況を確立します。
同様に、人員不足を補うための《自動化》というデジタル化課題は、プログラム言語を使える人が増加するかどうかに掛かっていると言えるわけです。もちろん、プログラム以前に、パソコンやスマホ機能を《高度に使いこなせる》人の増加が、その大前提です。

9.働き方改革の成果はデジタル化への意識次第

パソコンやスマホのみならず、テレビやオーディオ機器、デジタル化された自動車や各種機器を使いこなす人が増え、その結果として『自分で、それらをプログラムしてみたい』と考える人が増える会社や地域や国が発展し、増えない、あるいは増え切れない会社や地域や国が衰退して行くということです。
パソコンの使い方ばかりではなく、プログラム言語も、ここ20年で格段に使いやすくなりました。そして、この技術革新を自ら担おうとせず、全てを他者任せにしてしまうか、自らできる努力をするかが、働き方改革の趣旨を、真に実現できるかどうかのキーを握っているとも言えそうなのです。
そのためのタイムラグはあっても、既に《技能格差の拡大》の方が大きいのかも知れません。それをチャンスと見るかピンチに感じるかは、個々の事業主体の意識次第でしょう。