ある経営者の意外な《ルール経営》感性

随時命令による運営が難しくなった中で…
『パワハラ防止が法制化されていなくても、《その都度命令》方式による組織運営は難しくなっていたかも知れない』と指摘する経営者がおられます。タイミングよく命令を下すことは今も重要ですが、それが《日常化》すると問題が起こりやすいということです。

(執筆:森 克宣 株式会社エフ・ビー・サイブ研究所)

1.きっかけは《アメリカ映画》だった

その経営者が考え始めたきっかけは、1940年代のアメリカを舞台にした映画に、夫婦と2人の娘が描かれていたことでした。その当時の父親は、現代の《パパ》よりはるかに家庭内で権力を持っていました。

そのため2人の娘がキッチンで談笑をしている時、リビングから母親が『2人とも静かにして。今、お父様がラジオを聞いていらっしゃるの』と叱るのです。その《お父様》は穏やかな顔で、2人の娘を見ていました。娘たちは直ぐに寝室に向かいます。

2.それはつい最近までの経営者の姿?

その経営者(A社長)は、『その父親は、つい最近までの私の姿だったかも知れない』と言います。それは、『社内の従業員に指示を守らせるために、映画の母親のような役割を管理者に委ねながら組織を運営していた』という意味のようです。

そして今は、母親が高圧的に『静かにして!』と言うと、別の機会に父親が鼻歌を歌っているような時、『パパ、テレビの音が聞こえない。静かに!』と、子供に言われかねないと指摘するのです。今や子は《対等意識》を持っています。

3.妻の冷静な一言が社長の感性を刺激

家庭内の父親の権限が唯一絶対ではなくなったように、企業内でも経営者の権限の絶対性は、21世紀に入って急速に失われ始めたと見るべきでしょう。社長は『パワハラ防止法は、その変化の結果に過ぎない』と言われるのです。

しかし、A社長の《感性》は、そこに留まってはいませんでした。実際『パパうるさい!』と娘に言われた時に、妻から夫に『お互い様よ。怒らないで上(2階)に行きましょう』と諭されて、冷静になれたからです。

そしてそこから、A社長の感性の飛躍が始まります。

4.英国のマグナカルタの解釈の違い?

A社長は学生時代、世界史が好きでした。特に王政から民主主義への転換期への関心が強かったそうです。その当時の『イギリスで貴族が王権の制限を行ったマグナカルタ(大憲章:1215年)から始まった』という授業内容を思い出しました。

改めてネット検索をしてみると、マグナカルタには、『法は王の上にある(法の支配)』という名分があったようです。学生当時、それは『貴族に対する王の敗北だ』と、社長は感じました。ところが歴史上は、その後も王支配は続き、1588年にはエリザベス1世がスペインの無敵艦隊撃破により《絶対王政》を確立して王権は最盛期を迎えます。

マグナカルタは王権の敗北ではなかったのでしょうか。

5.社内での適切な相互関係の形成手段

そんな風に捉え直してみると、娘に命令されて社長がムッとしたように、マグナカルタの時代にも、貴族に権限を制限されて国王に怒りが生まれないはずはないと思えて来ます。しかし、社長が妻にたしなめられて平静を取り戻したように、『当時のジョン国王も、憲章(ルール)という第三者的な仲介だからこそ、貴族たちの主張を受け入れられたのではないか』と思えて来るのです。

自社内でも、『ルールは経営者の権限を制限するばかりではなく、経営者と従業員が適切な関係性を保つための第三者的役割を持つ』と、社長は続けました。

6.旧来権限への過剰な固執は破滅の素

逆に、マグナカルタ当時のジョン王が、あくまで貴族の主張を退けようとしていたら、後のピューリタン革命(1642~1649年)のチャールズ1世のように、革命軍に処刑されていたかも知れません。

ルール化が、権限者の敗北と捉えるのは一方的な見方で、『むしろ、状況の変遷の中で、適切な権限を維持するための道具でもあり得る』と、社長は言うわけです。

7.ルールの効用は内容次第で決まる!

A社長の歴史解釈が妥当なのかどうかは別として、本来《ルールは、命令権限者にとっても、命令の実践義務を負うメンバーにとっても上にあるもの》だと捉えるなら、確かに《内容の作り方と納得性次第》のところがあると思えて来ます。

たとえば今では、母親(組織内では管理者)が穏やかに『今、お父様がラジオを聞いていらっしゃるの』と命令するよりも、『誰かがラジオを聞いている時は、静かにしよう』というルールの方が通りやすいとも思えて来るからです。

8.従業員に支配されるのは論外でも…

そして、娘がテレビを見ている時、『同じ部屋では静かにしよう』というルールを承認するなら、父親としての社長も『静かにして!』と命じられるより、はるかに素直に別の部屋に移動できるはずなのです。

『法は王の上にある(法の支配)』というマグナカルタの思想は、王は貴族(や民衆)に屈するのではなく、法に従って権限を維持できるということだというのが、A社長の感性だということです。そして、それは社内ルールでも《同じ》はずなのです。

9.組織は既に人ではコントロール不可

映画の父親が妻を使って娘をコントロールしようとするのではなく、家庭内ルールを作って、『私もルールに従う』と宣言するなら、現代情勢にフィットする《新たな組織秩序》が作れそうな気がして来ます。A社長は、そんなことを言いたかったのでしょう。

そして大事なことは、A社長が《ルールを理屈で捉えた》のではなく、《王と貴族双方の納得》という感性の問題として考えたという点です。それは《ルールの効用を腑(腹)に落とした》と言える状態なのでしょう。

10.ルール経営は経営権の敗北か勝利か

もちろん、社内のメンバーも納得することが必須ですし、そもそも社内ルールは法律の範囲内で認められるものです。しかし、経営者が随時命令を発して、従業員に実行義務を負わせるという《上下関係》が、全面的には受け入れられなくなった昨今の社会意識の中では、王(経営者)の上に、王をも超えるパワーを持つルールの存在は、なくてはならないものになりつつあるのです。

もしも、歴史学が民衆側ではなく、王族側で作られていたら、マグナカルタは『王権を守った点で、王族の勝利だった』ということになっていたかも知れません。それが言い過ぎだとしても、経営者に《ルール経営》を勧める際には、A社長の感性が、重要な参考例の1つになり得るとは言えそうなのです。

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