気心が知れたはずの間柄でも、小さな組織の中でも、お互いの《意思疎通》が難しくなったのが《現代》の特徴の1つだと言われます。それどころか、昨今では《夫婦》の間でさえ、有効なコミュニケーションが難しいとされることがあるのです。
そんな社会傾向の下で、社会保険労務士事務所は《どんな役割》を担える、あるいは担うべきなのでしょうか。そして、それを有料業務にするために《どんな立ち位置》をとるべきなのでしょう。
目次
1.日々苦境と希望が《同居》していた頃の歌
初回の東京オリンピックの年(1964年)から、大阪万博が開催された前年(1969年)まで、NHKの子供の時間(平日17:45~18:00)に、《ひょっこりひょうたん島(原作:井上ひさし、山元護久)》という人形劇が放映されていました。サンデー先生と《ひょうたん島》に遠足に行った学童たちが、突然、島ごと海に流れ始め、その後長く《漂流》してしまう物語です。
その劇中に、子供たちが『なぜ勉強しなければならないのか』と、先生に問う歌が出て来ます。その時の歌の中のサンデー先生の回答が、当時の社会的な価値観をよく表していると言えそうなのです。
2.つい最近まで《あるべき像》は強かった!
子供たちは歌の中で、『勉強するのは、偉くなるためか、お金持ちになるためか、そんなの聞き飽きた』と主張します。それに対し、サンデー先生は『いいえ、良い大人になるためよ。男らしい男、女らしい女、人間らしい人間、そうよ人間になるために勉強なさい』と答えます。これは今なら《問題発言》でしょう。
しかしつい最近まで、つまり現在の経営者層や指導者層の多くの子供時代には、私たちの社内には《こうなるべきだ》という《人間像》のようなものが、半ば当たり前にあったと言えそうなのです。その内容や是非については、ここでは詳しくは申し上げませんが、結果として『そんなの男(女)らしくない』とか『大人のすることではない』等という《一種の責め言葉》が効いた時代だったわけです。
3.価値観の多様化が招く《あるべき像》喪失
当時はまだ、たとえある程度でも、社会的に共通した《人間像》があったわけです。そして、それはビジネス社会でも、《従業員像》《管理者像》《経営者像》等、一定のイメージ形成を促すベースだったと言えるとも思えます。家庭でも《夫像》や《妻像》や《子供像》等があったでしょう。
ところがその後、そのそれぞれの《像》が急速に不確かなものになって行きます。《価値観の多様化》という抽象的な言葉で捉えられた《像の喪失現象》は、私たちの《生き様》に強烈な影響を与え始めたのです。
4.あるべき人間像が既に共有できなくなった
そんな影響下で今や、抽象的な《あるべき人間像》ではなく、個々に《自分が納得できる人生像》を求める人が急増しているのだと思います。しかも、そんな人が増えた理由は、自分らしく生きないと満足できないと漠然と感じるからであり、決して《新たな人生像を創造できている》わけでもなさそうなのです。
そのため、自分らしく生きようとする現代人の多くは、『私は私らしい人生像を追い求めている途上にあるのだから、誰も邪魔しないで!』という、まるで《反抗期のような意識》を持つことが多いわけです。つまり、自分を自分らしくする前に、自分を害する敵を追い散らすのに懸命になっているということです。
5.自分実現は必須でも一人では生きられない
共同社会の中で《自分の価値観や個性》で生きることは、言葉で言う程簡単ではありません。少なくとも、自分の価値観や個性が受ける危害にも忍耐する《精神力》が必要になります。しかしそんな精神力は当然、反抗期の途上にある人には生まれません。自分の人生像を確立しなければならないのです。
精神力が発展途上にあるために、現代人の多くが、いつも《イライラ》しているのかも知れません。そんな《段階》にいる私たちが、仕事を共有し、他社や他者と取引をし、そのために《組織》を形成していることを、改めて直視すべきなのです。どんな状況下であれ、個人が生きるには組織が必要だからです。
ただ、人生像の確立途上の人が集う組織の中では《ある意味お互いがお互いを邪魔し合っている》面があるのが普通なのではないでしょうか。
6.組織的活動のために譲歩する基準の必要性
以上のように捉えると、組織内でもお互いがお互いの《自分完成》を邪魔しない配慮が必要になるばかりではなく、各個人が《組織的な活動》のために、どの程度《自分を殺す》必要があるのかを分かりやすくしておくことの重要性が思えて来ます。
今は、たとえばパワハラやジェンダー問題等で、《自分完成を邪魔しない》方向性が法律にまでなっていますが、そこに留まらず、今後は《自分完成》を目指す人たちも、《組織活動に参画するために必要な最低限の規律》を身に付けようと努力する必要だということです。
7.現代人が心の奥底でルールを求める理由?
そのために社内でも、その組織規模に関係なく《規律=ルール》作りが必要になり、その必要性は《夫婦》にまで及んでいるのだと感じてしまうのです。
しかしここで、考えておくべきことがあります。それは《規律》を作る前に、『自分や周囲や組織がどうなって行けば個人の個性と集団の利益が共存できるか』を《組織構成員の間で考える》こと、つまり《協働思考》の重要性です。
平たく言えば、それは『規律を作る前に、どんな規律が必要かを組織の責任者を中心に協働して考える時間を持つこと』に他なりません。いきなり法律が出来ても社会が混乱してしまうように、いきなり社内ルールができても、社内は混乱するばかりだろうからです。
8.個人像が多様化する中で求められる組織像
しかも、その《協働思考の時間》は、ルールが出来上がった後でも、個々のルールの有効性を検証し、より機能する方向に改正して行くために不可欠になるのです。『ルールだから守れ』という考え方は、サンデー先生の時代に逆戻りすることを意味します。それが正しいかどうかは別として、現代人は、それには満足しないでしょう。しかも、この時点で《もう1つの重要事項》が浮かび上がって来るのです。
その重要事項とは、私たちの《個人像》が、個人によって様々に多様化する中で、その個人が集う組織には《組織像》が必要になるということです。
9.結果としてのルールより大事な思考の共有
なぜなら、個々の《私の像》とのバランスをとるべき《組織像》、つまり抽象的な理念を超えて《具体的に日常活動を律する社内の規範の総体》が、多少とも明らかでなければ迷いから脱却できないからです。
もちろん、組織像は《経営者が作って皆に押し付ける》つまり《経営者の個人的価値観で他者を支配する》ものでは機能しないでしょうが、経営者は《自社の組織像を皆で作ろう》とする意欲の中核に立つ努力をしないと、歴史的な革命時の貴族のように、リーダーシップを失ってしまう恐れがあるとも言えるのです。
そんな《時代感覚》から組織運営を見直すべき時に、今来ているのではないかと思います。そして、上記のような《協働思考の時間作り》や《ルール作り》を、直接的に支援できるのは、今のところ社会保険労務士事務所だけだとすれば、その社会的責任は想像以上に重く、それだけに重要だと言えそうです。
しかもこれは難しい組織哲学ではなく、《社内規程》から入れる経営支援でもあるからです。
経営者に《組織のルール》確立の重要性を示唆し、社内規程から入る経営支援に興味をお持ちの方には、以下の教材活用をお勧めいたします。
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